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門出

 この春、息子がこの家を離れます。

 18年間、一緒に暮らし、自由に育ってきたこの子が果たして独りとやっていけるのだろうかという心配と、巣立っていく寂しさでいっぱいです。

 

 そう言えば36年前、私が親元を離れる日、バス停まで送ってくれた車中、ひと言も無く黙っていた父が、車を降りて「行ってきます」と振り返った時、泣いていました。

 後にも先にも父の泣いた姿を見たのはこの時だけでした。

 

 新たな門出を迎える若者たちに心よりエールを送ります。

「しっかりやれよ」と。

 そして、

「見守っているから」と付け加えておきます。

 

ごあいさつ

 歳を重ねるにつれ、思い悩むことが増えてきたように感じます。

 仕事のこと、家族のこと、身体のこと・・・。

 恥ずかしながら過ぎ去った過去を悔やみ、まだ来ぬ先を憂い、不安の中で眠れぬ夜もあります。そして、時として言いようのない不安に押し潰されそうになることもあります。

 皆さんはどうですか?

 お釈迦さまは、本来私たちは自由なのだとおっしゃっていますが、現実、多くの人がもがき苦しんでいるのではないでしょうか。

 江戸時代の禅僧、良寛さんはこんな詩を詠んでいます。

 

 お前はお前で丁度よい

 顔も体も名前も姓も

 お前にそれは丁度よい

 貧も富も親も子も

 息子の嫁もその孫も

 それはお前に丁度よい

 幸も不幸も喜びも

 悲しみさえも丁度よい

 歩いたお前の人生は

 悪くもなければ良くもない

 お前にとって丁度よい

 地獄へ行こうと

 極楽へ行こうと

 行ったところが丁度よい

 うぬぼれる要もなく

 卑下する要もなく

 上もなければ下もなく

 死ぬ月日さえも丁度よい

 仏さまと二人連れの人生

 丁度よくないはずがない

 丁度よいのだと聞こえた時

 憶念の信が生まれます

 

 南無阿弥陀仏

 

 人生よいことばかりではありません。時としてどうしたらよいのか分からなくなってしまうこともあります。辛いとき、苦しいとき、悲しいとき、私はこの詩を口にします。

 「やるだけやって、ダメならダメでこれも良し。それもお前に丁度いい。」と。

 

 禅宗のお坊さんの教科書ともいうべき「碧巌録」(へきがんろく)の第五則に

「百花春至為誰開」(百花春至って誰が為に開く)

という言葉出てきます。

 私はこの禅語が大好きです。

 春になると色とりどりの花が咲くけれど、花は誰かのために咲こうとしているわけではありません。何の計らいもなく無心に咲いて、そして種を作り、命をつないでいきます。鳥や虫を集め、そしてその姿は私たちをも和ませてくれます。

「上手く咲いてやろう」とか「きれいに咲いてやろう」などの思いは微塵もなく、唯々与えられた場所で精一杯、そして自由に咲いているのです。

 

 鎌倉、円覚寺の横田南嶺老師は、法話でこのようなことをおっしゃっています。

「私にとっては、前世とは昨日、現世とは今日、来世とは明日。今日を精一杯生き、明日の来世を迎えるのです。」と。

 

「お前はお前で丁度よい」

 誰と比べることもなく、お前はお前で精一杯咲けば(生きれば)いい。

 これがほんとの自由な生き方なのかもしれません。

 

 

春季彼岸法要のご案内

●春季彼岸法要のご案内

 

 日 時  令和5年4月21日(火) 

      午前11時より

 

 新型コロナウィルス感染症により長らく住職のみのお勤めと致しましたが、春のお彼岸法要より皆様にもお参り頂きたくご案内申し上げます。

 

 ※当日、送迎車両をご希望の方は、恩澤寺までご連絡ください。

  また、車でお越しの方は、ミキモクさん前の菅山振興会駐車場をご利用ください。

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